ビートたけしも若い頃は売れなかった?芸人になったきっかけが意外過ぎ!

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ビートたけしって?

ビートたけしと言うと今では、

お笑い界の重鎮で有りながら、映画界では世界の北野と言われるほど、

存在感があって、マルチな才能を披露してくれています。

そんな、ビートたけしでも売れない時期が合ったのでしょうか?

芸人になったきっかけとはいったいどんな理由なのでしょう。

 

ビートたけしには、売れない時期があったのか?

ビートたけしがテレビに映り始めたのは、

1980年代前半の漫才ブームの時です。

それ以前は、テレビどころか、名前すら知られていないただの若手芸人だったのです。

浅草を拠点として、ツービートとを1972年に結成しています。

ビートたけしとビートきよしの名コンビです。

売れない下積み時代には、

ツービートが舞台に上がると観客がまるでいない状態の時があったり、

2人いた観客もトイレに行ってしまう始末。

まさに、芸人にとっては屈辱的な事をされた経験の持ち主なのです。

当然浅草の演芸場だけでは、食べて行く事すらできませんから、

地方の営業にも行くなど、ドサマワリをしていた事もあったのです。

この売れない時期に必死にもがいて、苦しんでいた経験が現在の糧となっているはずです。

今ではお笑いの重鎮や世界の北野なんて言われていますが、

売れない時期には、みかん箱の上で漫才を披露していたと思います。

この経験が合って、演芸場の支配人がテレビ関係者を紹介してくれたおかげで、

漫才ブームに乗ることができたのです。

もし仮に紹介されていなかった今のビートたけしは居ないのかもしれません。

 

ビートたけしの芸人を目指したきっかけは何?

ビートたけしは芸人になる前には明治大学理工学部に属していました。

当然ながらこの頃は学生運動が行われていた時代でも有ります。

もともと、芸能に興味はあったと本人が言っていますが、

「理工系の自分にアングラ文学の演劇には馴染めなかった。

文学的な物がわからなった。」

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「でも演芸なら自分でもりかいできるだろう。」

と言う理由で芸人を目指すきっかけとなった様です。

それもいつの間にか芸人志望と言う形に変わって行ったっとも言っています。

確かに現在では、京大や各種名門大学出身者のお笑い芸人が数多くいます。

その先駆けと言えばそうなのですが、

ビートたけしは明治大学を中退してまで芸人を目指すことを選択しました。

明治大学の理工学部と言えば相当頭が切れなければ受からない所ですから、

その当時から頭は切れる青年だったと言う事でしょう。

まともに卒業していたら、大手企業に就職して安定した生活を棒に振ってまで、

芸人の道を目指すのは並大抵の事では出来ません。

その頃のビートたけしもかなり悩んでの決断だったのではないでしょうか。

その才能を、漫才ブームに乗ることができて、

開花させたのは、下積み時代の経験がかなり活かされていると言う事なのでしょうね。

まとめ

ビートたけしも売れない時期が合ったと芸能人になって理由について紹介してきました。

演芸場で2人客相手に漫才をしていた方が、世界の北野と呼ばれるくらい、

世界で多くの方が映画を見ています。かなり才能があったと言う事でしょう。

ここまで、成功するには、影の努力はかなりしているはずですから、

いま、自分の人生の舵取りができない若者は苦労を知らない世代になっています。

人より苦労した分だけきっと成功への道が開かれるはずです。

 

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