たけし軍団のフライデー襲撃事件って何だったの?ビートたけしが懲役に?

Sponsored Link

たけし軍団が講談社のフライデー編集部を襲撃!

 

と言う報道があっという間に夕方のニュースなどで、

一斉に報じられたのを記憶している方も多いのではないでしょうか。

当時はビートたけしとたけし軍団はある意味、

お笑いの中でも人気があった時だったはずです。

そんな仕事が順調な時になぜフライデー編集部を襲撃したのでしょう。


Sponsored Link



 

ビートたけしとたけし軍団がフライデーを襲撃した原因はいったい何?

このフライデー襲撃事件は1986年12月9日に発生しています。

この事件の発端となったのが、

フライデー側の契約記者の過剰取材によるものだったのです。

当時ビートたけしと交際していると言われていた女子大生に執拗な取材をしており、

しまいには、記者が彼女の腕を強引に掴んだ状態で引っ張った為に、

頚部捻挫・腰部捻傷など全治2週間のケガを負わされてしまいます。

当然それを知ったビートたけしはフライデー編集部に抗議の電話を入れますが、

埒があかなかったのか

「今から行く!」

と言い放ち、たけし軍団を引き連れて、講談社フライデー編集部に乗りこみます。

エレベーターのドアが開いた瞬間の写真がフライデーに掲載されてたのを覚えていますが、

あの写真を見る限りではいきなり、修羅場のようにみえます。

しかし、ビートたけしは軍団には、「手を出すな」と指示していたことが後々わかっています。

またフライデー側も

「俺は空手の経験者だ!」的な発言もありフライデー側の挑発もかなりあった様です。

結果、一斉に揉み合う事になり、編集部員の肋骨骨折など1週間~1ヶ月のケガを負わせています。

その為、ビートたけしとたけし軍団は、

警視庁大塚警察署に住居侵入・器物損壊・暴行容疑で現行犯逮捕される事になったのです。

この事件を起こした原因を作ったのはフライデー側による過激な取材。

報道の自由や知る権利などを隠れ傘にして過激な報道をくりかえしていました。


Sponsored Link





 

フライデー襲撃事件で、ビートたけしは懲役刑!?

 

このたけし軍団フライデー襲撃事件から半年後の1987年6月10日に、

東京地方裁判所で判決が言い渡されています。

判決内容は、ビートたけしに懲役6カ月執行猶予2年が言い渡されています。

ビートたけし側が控訴しなかったために判決が確定しています。

たけし軍団に対しては、起訴猶予処分が1987年3月に言い渡されており、

裁判には発展していません。

この事件の首謀者は師匠であるビートたけしであって、

弟子は従わざる負えなかったと言うのが警察・検察サイドの見解でしょう。

この件に関しては、たけし擁護を訴える方も非常に多く、

当時の、官房長官さえも、「ビート君の気持ちも良くわかる」と言っています。

それだけフライデーの取材のやり方が悪質かつ過激すぎたと言う事を、

世間も認めていたと言う事になります。

また女子大生にケガを負わせた記者に対しては、罰金10万円の刑が科されております。

この事件を気にフライデーなどの週刊誌の取材にも自粛ムードとなり、

過激な取材攻勢は数を減らして行く結果となっています。

まとめ

たけし軍団のフライデー襲撃事件について紹介してきました。

この当時のフライデー等の週刊誌は報道の自由を傘に過激な取材を敢行しています。

事件後に過激取材の自粛をおこなっている事から、

編集部自体もわかり切って取材させていたと言う事です。

プライバシーの侵害と報道の自由はどちらが重いのかは、

明確にはされていないので、何とも言えませんが、

報道する為の取材は節度ある行動が必要だと言う事になりますね。

#TAKESHI KITANO  #BEAT TAKESHI  #BEAT KIYOSHI

-関連記事-

 〇ビートたけしも若い頃は売れなかった?芸人になったきっかけが意外過ぎ!

〇ビートたけしがバイクで大事故!?生き残れたのが奇跡?

〇北野武とビートたけしの使い分けのこだわり!?

〇ビートたけしの事務所騒動って何だったの?オフィス北野の今後は?

 

Sponsored Link
Sponsored Link