長友佑都母子家庭で育ったことを嫌がっていた?母親への恩返しとは?

長友佑都の運動神経は遺伝だった!

長友佑都さんの母方の祖父は第1回小倉競輪出走者、

元競輪選手の吉田達雄で、達雄の弟で同じく元競輪選手の吉田実は大叔父となる。

スポーツ一家の第二子として産まれた長友佑都(ながともゆうと)さん。

プロのサッカー選手であり日本代表にも入り、

世界レベルの左サイドバックとして栄光をつかんだ彼ですが、

それまで大変苦労した過去がありました…

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両親が離婚、極貧の生活

幼少の頃は、長女の麻歩(まほ)さん、長男・佑都選手、次男・宏次郎(こうじろう)さん、

3人の子供に恵まれ、夫の両親の実家で同居していました。

子どもたちも三世代同居の大きな家で、祖父母にかわいがられながら、何不自由なく育ちました。

しかし、彼が小学3年生、9才のときに両親が離婚。

その理由について、実母のりえさんは多くを語りませんでしたが、

離婚前から経済的にも苦境に立たされていたそうです。

りえさん曰く「私の実家には姉夫婦が住んでいたので、

実家に戻って両親と同居するという選択肢はありませんでした。

お金のことも、両親をあてにして子供たちを育てたら、たぶん子供たちにもよくない。

とにかく自分の力で一生懸命育てようと腹をくくりました」と話しています。



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母子家庭であることを隠したかった長友佑都

3人の兄弟のなかで、離婚にいちばん反発したのが彼でした。

例えば、転校先の小学校のクラス名簿の保護者欄に、

自分のところにだけ母親の名前が書かれていることをとても嫌がったといいます。

母子家庭ということで人から励まされたり、違う目で見られるのも嫌だったからだそうです。

しかたなく、りえさんも先生と掛け合って父親の名前で書く様にと頼んだそうです。

それだけ片親の母子家庭でいることを隠したかったのでしょう。


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サッカーで恩返しをしようとした長友選手

彼の母りえさんは子供3人を育てるため一生懸命働き、

冠婚葬祭の司会業などの仕事で家庭を支え続けました。

貧しく苦しい生活が続く中でもりえさんはいつでも笑みを絶やさず、

子供と接することを心がけていました。

そして長友佑都本人も含め子供3人を進学させるため、

自らに3,000万円の生命保険をかけたりもしました。

親戚の方々は猛反対しましたが、お金のことは子供に心配はかけたくないという思いと、

子供のためになるならと押し切ったそうです。

また彼が高校を選ぶ際、福岡県の高校サッカーの名門である東福岡に進学したい!

と口に出せずにいた時も息子の心を察し背中をそっと押しました。

それにより高校生の頃から一人で福岡で学校生活を送ることになり、

その後、明治大学へと進学した後FC東京へ、

更にそこから海外へと移籍をすることになりました。

東福岡への進学を支えたりえさんの存在があったからこそ、

彼のサッカー人生を多く支えられたのでしょう。

逆境もありましたが、それを「母の苦労に比べたら何ともない」と乗り越えていきました。

2008年大学のサッカー部を退部しFC東京に入団一刻も早く母を楽にしてあげたい、

その一心で頑張り、日本代表選手にまでなりました。

母への思いから見事に日本代表になった長友佑都

まとめ

極貧の生活から現在のプロのサッカー選手になるまで、

かなりの苦労はしてきたと思われます。

しかし、母親の支えとその感謝の気持ちで乗り越え、

見事日本代表になり活躍するようになんて素晴らしい選手です。

今後も頑張って活躍してほしいです。
#NAGATPMP YUTO
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