村田諒太のヤンキー時代を救った恩師がいた?

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村田諒太選手のモチベーション

2017年5月20日に有明コロシアムで行われた村田諒太選手の世界初挑戦で、見事なまでのWBAの採点員による不信しかありえない採点で

チャンピオンベルトに手が届きませんでした。

村田諒太選手がここまでやってこれたのは一体何がモチベーションの高さとなっていたのでしょう。

 

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村田諒太は元ヤンキー!?当時の先生が彼を救った!?

今はボクシング界でもイケメンボクサーとして有名な村田諒太選手ですが、若い頃はやんちゃな盛りが合ったと言う話も出て生きています。

村田諒太選手の家族は両親に3兄弟で、村田諒太選手は三男坊と言う所で、一番可愛がられていたのではないでしょうか。

そんな彼に衝撃的な事が起きてしまうのです。

両親の離婚。

子どもにとっては、大好きな両親ですから離婚は子供に取って心的不安感を高める要因になってしまいます。

村田諒太選手でも両親の離婚によって、心のバランスが崩れてしまいます。

村田諒太選手はそれが原因で頭を金髪にして中学校に登校します。

当然そんな頭は認められないのですが、当時の担任の北川先生

「おまえ、やりたいことないのか?」

と尋ねられ

「ボクシングならやるわ」

と答えたところ、この北川先生は奈良工業高校の週末ボクシング教室に通えるように手配してくれたそうです。

この北川先生の行動がなければ村田諒太選手はボクシングとの出会いがなかったかもしれません。

村田諒太選手はボクシングとの出会いをきっかけに前向きに心を変えて行きます。

その後、南京都高校に進学しボクシング部に入部します。

この時に村田諒太選手を指導してくれたのが、武元監督です。1年生からボクシングの才能を発揮し3年間で高校5冠を達成します。

村田諒太選手が3年生の時に1年生の入部体験で空手の有段者の1年生が2年生をのしてしまい、勝ち誇っている姿に火が付き、

村田諒太選手が軽くのしてしまいます。

それを知った武元監督が怒るでもなく

「軽く殴っても、お前のパンチは他の人とは違う。そんなところで使うな」と諭されます。

この言葉で、村田諒太選手「拳の向かう先を示してくれた」と言っています。



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村田諒太のモチベーションの高さは恩師に報いるため!?

村田諒太選手は高校を卒業後東洋大学に進学します。

当然ボクシング部で活躍するのですが、勝てない時は基本に戻れと言う事もあり、武元監督の元に戻って基本を繰り返します。

ただ、村田諒太選手の人生をまた悲劇が襲います。

武元監督が50歳と言う若さで亡くなってしまうのです。

村田諒太選手は中学時代に両親の離婚、大学時代に高校での恩師武元監督の死と言うとてつもない衝撃を2度も負ってしまうのです。

ただその時の村田諒太選手は以前のように心の拠り所がないわけではなく、ボクシングに邁進していくのです。

2012年のロンドンオリンピックの出場権を獲得し金メダルを獲得します。

この金メダルを獲得した事を武元監督の墓前に報告を村田諒太選手はしています。

恩師と一緒に取った金メダルと言ってもいいのでしょうね。


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まとめ

村田諒太選手は元ヤンキー?当時の彼を救ったのは先生!?とモチベーションの高さは恩師に報いるため?について紹介してきました。

元ヤンキーと言っても弱い物いじめをする訳でもなく悪い事をする訳でもなかったようです。

ただ心の拠り所がなかっただけ。

それを先生が救ってくれる。

なんていい話なんでしょう。

いまどきの先生は、俺が救ってやるなんて言う先生は少ないのでしょうね。

北川先生や武元監督のような方がたくさんいれば、救われる子供たちももっといるのかもしれません。
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